多様化するアマチュアオーケストラ

 

 SNSなどのコミュニケーションツールの発達によって、現代では新しいコミュニティーが次々と発生している。アマチュアオーケストラの世界でも、新たなコンセプトのもとに、伝統的・従来型の地域密着型団体に窮屈さを感じる演奏家たちは、新しいオーケストラを次々と結成するようになった。

 かつて、高度成長期を経て文化的な充実を求めた人々は、地域にオーケストラを結成し、行政もそれを支援して、豊富な税収を背景に、各地に音楽ホールを建設し、市民の文化水準の向上を図ってきた。

 しかし、現在では、それらのホールの維持費の縮小、市民オーケストラへの支援の縮小・打ち切りなど、文化政策は大きく後退しつつある。その結果、地域密着型のオーケストラの維持は、経済的にも苦しくなり、また、硬直化した組織風土を嫌う若者から敬遠され、恒常的な団員不足に陥るという事態なども見受けられる。

 その結果として、新たな旗印の下にアマチュア演奏家が集い、オーケストラが結成される事例が増えている。それは、地域から解き放たれ、同一職種の人々が集まるものであったり、コンセプトを共有することのみで集まるものであったり(例えば、取り上げるプログラムを古典派に絞るとか、逆に、古典派は取り上げない、とか、ある特定の作曲家に絞る、とか・・・)、非常に多様化している。さらに、この動きの中で、演奏家も、場合によっては複数の団体に所属するということも増えている。それを可能にしている要素として、働き方が柔軟になったこと、余暇が拡大していることなども見逃せない。

 この動きが加速していけば、おそらく従来型の行政区分に基づく市民オーケストラは瓦解してゆき、もっと自由な単位で結成されたオーケストラが主流になる動きが強まってゆくかもしれないが、その反面、結成された新たなオーケストラは、短命で、新陳代謝が激しいものとなる可能性もあると思われる。

 

 そもそも地域に根差した市民オーケストラの意義とは何だろうか。

 第一に、地域自らが、地域住民のために、音楽文化の向上に寄与し、良質な音楽鑑賞機会を提供するという点であって、これは、市民オーケストラ発生時からずっと不変のものである。

 年2回のうち、1回を「ファミリー向け」の演奏会と位置付けている団体が多いのも、そうした性格の表れである。

 町全体が、同一の方向を向いているようなことがない限り、玄人向きのプログラムばかりを並べてしまうことは、地域への貢献という性格にそぐわない。様々な聴衆の好みを前提にして、多様な音楽を提供する必要がある。

 第二に、アマチュア演奏家が自己表現を実現する場としての意義である。音楽文化の向上という意味で、そうした演奏の場を常時置いていることは、アマチュア演奏家を「育て」、地域の音楽文化を維持することにつながる。

 演奏の質を維持することは確かに必要ではあろうが、「初心者だけれども演奏したい」という要望にも応える必要があるだろう。その意味で、演奏の難易度が高い曲ばかりを取り上げるのは、市民オーケストラの存在意義を薄れされてしまうことになる、と思われる。

 この2つの要素に共通しているのは、「多様性を維持する」という点であり、聴衆と演奏者、そのどちらにとっても、親しみやすさ、演奏水準などの点で、偏らない運営が必要である。

 

 地域とは別の多様なコンセプトで結成されるアマチュアオーケストラが次々と生まれることは、アマチュア演奏家全体にとっても、聴衆全体にとっても好ましいことである。だからこそ、市民オーケストラは、その存在意義を、今、再確認する必要があるだろう。

 

(2024.11.28 iwabuchi)