コロナ禍を抜けて

 

ほぼ3年以上にわたって、息苦しい毎日を強いられたコロナ禍が終わった。アマチュア音楽家たちは、再び以前のような活動を再開し、奏で合うことの喜びを嚙みしめている。

かつてヨーロッパを襲ったペストは、多くの人々を死に至らしめ、社会全体の多方面に影響を及ぼした。現代における感染症の発生は、その時ほどではないにせよ、今後も、やはり何かしらの痕跡を我々の社会に残し、価値観をも変えていくのかもしれない。

 もっとも、この3年間は、負の側面をもたらしただけではなかった。

コロナ禍において、演奏者にとって、音楽とは一体何なのか、自分にとって、あるいは人類にとってどのような必要性があるのか、などを真剣に見直す機会であったことは、多くの人々がうなずける点だろう。ある人は、かねてからの夢であったヴァイオリン製作に取り組んだそうであるし、ある著名なプロヴァイオリニストは、18世紀のヴァイオリン奏法を徹底的に研究し、新たなモーツアルト解釈を提示した。私自身も、今まで見向きもしなかった作品(その全てが室内楽や独奏曲だった。)の演奏に取り組んだり、ある作品について様々な演奏を聴きこんだりして、自分なりに多くの発見を得た。

前回「アンサンブル」について思うところを書いてみたが、オーケストラについていえば、(演劇などと融合したオペラなどを除く)純粋な音楽のみの範疇という意味では、「最大のアンサンブル」である。規模が大きければ大きいだけ、バラバラに乱れが生じやすいが、一方で、表現の可能性も大きい。コロナ禍を抜けて、待ちわびていた多くの人々が、改めてその魅力を感じているに違いない。

コロナ禍を経験した多数の演奏家たちによって構成されるオーケストラは、コロナ禍以前と、コロナ禍を抜けた現在と、一体どのような変化が起きるのだろうか・・・。プロ演奏家でなくとも、私の所属するアマチュアオーケストラにおいてさえ、これは非常に興味がありそうである。

聴衆と同じ空間を共有することなく音楽と向き合ってきた数年間に、心の奥底でゆっくりと増幅していった、憧れにも似た感情。そして、半世紀前、アメリカの高名なヴァイオリニストが若手日本人ヴァイオリニストに語った「listen to me(私の音楽を聴いてください。)」という言葉に込められた、「表現する」ということの深い意味。

私たちは、単に演奏者同士が「奏で合う」喜びに浸るだけではなく、聴衆と正面から向き会い、その空間全体を満たしている思いや感情と心通わせ合う喜びへ、再びゆっくり歩んでいくのだろう。

最後に、やはり故芥川也寸志の言葉を再度記し、噛みしめておきたい。

「愛する、愛してやまぬ、これこそアマチュアの心」、 「ただひたすら愛することのできる人たち、それが素晴らしくないはずない」、 「アマチュアこそ、音楽の王道である」

 

 (2023. 4. 9 iwabuchi)