☆ 3. 6か月という練習期間について ☆

 ほとんどのアマチュア市民オーケストラと同様に、当楽団においても、 定期演奏会は年2回であり、それぞれの練習期間は6か月である。
 6か月という練習期間は、短いのだろうか、長すぎるのだろうか、それとも適度な長さなのだろうか。
 普段の練習は、大抵、週1回で、1回あたり約3時間。団員の多くは仕事を持っており、 また、プライベートな予定もあるため、毎回必ず出席できるとは限らない。 ましてや、休日以外に楽器に触れることなど不可能に近い。つまり、毎回、間に5~6日のブランクができてしまう。 指揮者も、そういう「苛立たしい」条件でトレーニングしなければならない。 そういうことを考えれば、適度か、もしくは短い、と言えるのかもしれない。
 しかし、それでもなお、長い、と感じる。
 6か月間を3つの時期に分けて分析してみる。
 まず、最初の2か月間。
 とにかく必死に、曲、もしくは譜面を追うことで精いっぱいの時期である。楽曲を繰り返し聞き込み、譜面を目で追う。 合同練習では、とにかく「落ちない」ようにするために必死で音符を追いかける。 音程や奏法、表情などを気にしている暇などない。それらを繰り返してゆくうちに、 旋律の表情に気を配ることができるようになり、さらに、音程を気にしだすようになってゆくだけの余裕が、 少しずつ少しずつ生まれてくる―――――そんな時期で、あっという間に過ぎてしまう。
 次の2か月間。
 これが曲者である。何となく演奏になじんできたような錯覚に陥ると、途端に、演奏曲に対する興味が薄れてくる。 電車の中であれほど必死になって読み込んでいた楽譜も、カバンの奥深くに眠ったままとなる。 「まだ3ヶ月以上ある・・・」と。ミュージック・プレイヤーから流れてくるのは、演奏予定の曲ではない曲ばかり。 気がつくと、週末の練習日がやってくる。本来、この時期は、音程を正確にし、豊かな表情を工夫する、 などといった、じっくりと演奏を練り上げる時期でなければならないはずである。
 6か月という練習期間を「長く」感じさせているのは、この怠慢な2か月が原因である。
 そして最後の2か月間。
 失われた2か月を慌てて取り戻さなければならない。再び最初の2か月間のような余裕のない毎週が過ぎ、 あっという間に本番の日がやってくる。振り返ると、最初の2か月間以上に、 この曲を演奏することが出来たのか、という疑問が湧いてくる。
 確かに、6か月間という長い間、ずっと緊張感を保持し続けるのは難しい。 しかし、後退をもたらすような怠慢は避けなければならない。 そのためには、最初の2か月と最後の2か月の緊張感を緩め、中間の2か月に「均す」ことがいいのかもしれない。 つまり、最初から最後まで、non troppoで歩くべきだ、ということなのだろう。
(2015. 4.11 iwabuchi)