☆ 4.ウィーン・ムジークフェラインの思い出 ☆

 学生を卒業する3月に、いわゆる学生ツアーでヨーロッパを旅した、その時のことである。
 ウィーンで自由時間が取れたので、ふらりとムジークフェラインに行ってみたら、同じツアーの仲間2人も来ていた。 その日は、ウィーンフィルの定期演奏会の日だったらしく、ちょうど聴衆が次々とホールに吸い込まれていったが、 会員しか入れない演奏会だったので、私たち3人は、聴衆たちを羨ましげに眺めながら、音楽について語り合っていた。
 ところが、その時に奇跡が起こったのである。
 突然、30代ぐらいの上品なご婦人が、私たちに声をかけてくれたのだ。彼女は日本人だった。
 「あなた方、日本の学生ね。コンサートを聴きに来たの?」
 私たちがうなずくと、彼女はこう言ったのだ。
 「私は友達と一緒に途中から抜け出さなければならないの。他の人も中に入れてあげる。 紙幣は持っている?万一、見つかったら係員に渡せるように、用意しておいて。さあ、絶対離れないようについていらっしゃい。」
 本来なら、天国にも昇る心地がしたはずだが、私たちは、あまりの展開についていけず、ただ互いに目を見合わせつつ、 彼女にぴったりと従って、あのムジークフェラインに入場した。中は、クロークにコートを預ける人や、談笑する人々であふれていたが、 彼女はぐいぐい人込みをかき分け、係員が立ちはだかるグローサーザールの入り口の一つに突進し、 チケットをちらつかせながら我々を招じ入れてしまった。まったく、あっという間の出来事だった。
 中に入ってしまえばもう安心とばかり、彼女は私たちに向き直り、素晴らしい笑顔で言った。
 「3人とも、しばらく後ろの立ち見席で聞いていらっしゃい。後半のプログラムになったら席に案内してあげる。」
 私たちは、何が何だかわからないが、すばらしく感動していた。前半のプログラムは、マーラーの「リュッケルトの詩による5つの歌」 とベートーヴェンの交響曲第8番、指揮はクラウディオ・アバド、歌手は、ジェシー・ノーマンという豪華な顔ぶれだった。 人込みに紛れて立ちすくみ、箱形のホールに響き渡る音楽に包まれながら、私たちは幸福感に満たされていた。
 前半のプログラムが終わると、彼女が再び満面の笑みを浮かべて、まるで女神のように私たちの前に姿を現した。
 「一人はこのチケットを持って平土間席に座って頂戴ね。残りの二人は、ステージのわきにある席に座れると思うわ。 私は、友達とアバドに会いに楽屋に行くの。」
 私は、彼女の指示した通り、ウィーンフィルの団員が楽器を構えるすぐ傍の席(上の参考写真を参考。そこは、ウィーンフィルの演奏をすぐそばに見下ろせる。) に、どきどきしながら座っていた。あたりが静まり返り、アバドが、ほんの10メートルの近さの指揮台に登場し、 独特のしぐさでタクトを振り始めた。曲は、ヤナーチェクのシンフォニエッタ。 金管楽器の咆哮がホール全体を振動させるほどだったと記憶している。 席のすぐ下では、あの柔らかいヴァイオリンの音色、ウィーンフィルの弦の響き。 あっという間の20数分間。満場の拍手。私は、ほとんど気絶しそうだったので、高い位置にある席から、 下の団員の中へ真っ逆さまに落ちてしまわないか、と不安になったほどだ。
 私たち3人は、彼女にお礼を言っていないこと、名前さえ聞いていないことに気づき、 半時間ほどムジークフェラインの入り口で、彼女が出てくるのを待っていたが、ついに彼女は現れなかった。
(付記)その旅行では、スイスのルツェルンの料理店で、山田一雄が対談番組の収録を行っているのに出くわし、サインをもらうという幸運にも恵まれた。

(2015. 7.14 iwabuchi)