シベリウス:交響曲第2番 ニ長調 作品43
 シベリウスの出発点は、北欧の神話「カレワラ」である。どのような神話においても、 共通しているのは大自然の中で人類が雄々しく立ち向かう姿を象徴していることである。
 イギリスの音楽評論家セシル・グレイは、かつてシベリウスを「ベートーヴェン以降最大の交響曲作曲家」と評した。
 シベリウスの作品の大半は管弦楽作品であるが、その中でも交響曲は特に重要な位置を占め、さまざまな形式や語法が模索され、進化している。
 第1番では、チャイコフスキーの影響が色濃く、ある意味で北欧的な自然を背景とした「人間」の生きざまに重きを置いて語られていると言える。 それが第2番になると、人間は自然に包まれ、自然とともにあるような雰囲気を帯びてくる。すなわち、一体性が増しているのである。 おそらく我々人間にとっての自然との関係性は、この段階がもっとも「心地よい」のかもしれない。
 が、シベリウスは、そこに留まることなく、さらに進んでゆく。 第3番、第4番と作曲してゆくにつれ、どんどんと人間の存在は自然の中に飲み込まれ、消え去ってゆく。 もしくは、自然と人間の境界が消えてなくなってゆく。
 第3番以降の交響曲が「傑作」とされながら一般受けしないのは、そこに人間自身の存在を見出すことが難しいからであろう。
 シベリウスの交響曲を聴くということは、自然と人間の関係性を改めて考えることだ、と思えてならない。
 20110518 Iwabuchi)