チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23

 冒頭からして、スケールの大きさに圧倒される楽曲である。その後も、ピアノとオーケストラが激しくぶつかり合い、 優れた演奏と言われているものは、咆哮するオーケストラに負けない独奏ピアノのエネルギーが特徴となっているため、 一般的には、ベートーヴェンの皇帝協奏曲に比べられることが多い。
 しかし、最近では抒情的な演奏も数多くあり、それを聴いていると、あたかもショパンのピアノ協奏曲を思わせる部分が多々あることに気づかされる。 チャイコフスキーとショパンは、30年ほどの世代の開きしかない中で、2人を結びつける接点について語られることはないが、 個人的には、瑞々しいピアノ独奏部など、随所にショパンの影響を感じる。これは単なるスラヴ系の血という共通性だけではあるまい。
 チャイコフスキーの作品は、ダイナミックレンジが大きく、感情の振幅が極端に増幅されているものが多く、壮大なドラマ性を好む聴衆は、 大きなうねりに身を任せ、美しい旋律に酔いしれる。そうした外見的な特徴から、精神的な深みのない、哲学性の欠如した、 単なる大げさな表現であるとして、毛嫌いされることがあるが、良くも悪くも、この協奏曲はそうした特徴が顕著にみられる。
 それはともかく、この曲の美しさは比類がない。感情の起伏も激しく、若々しい情熱を感じる。一体、どのような精神状況で生まれたのだろうか。
 同じく1874年に作曲された曲として、弦楽四重奏曲第2番(作品22)があり、このピアノ協奏曲を想起させるような大きな起伏はないように見えるが、 じっくりと聞いてみると、非常にメランコリックなものを感じる。この時期のチャイコフスキーに何があったのか。
 また、このピアノ協奏曲を作曲する以前の作品を聞いてみると、一種の手堅さというものを感じ、もどかしいほどである。 逆に言えば、このピアノ協奏曲は常軌を逸している。
 もともと協奏曲という形式は、葛藤を直接的に表現するのに適しているが、チャイコフスキーの主だった協奏曲は、初期の1870年代に作曲されている。
 チャイコフスキーは、もともと高等教育を受け、法務省の文官であったこともあり、音楽家としては遅咲きであったし、 手探り状態だったのではなかろうか。そこから脱し、己自身の楽曲を作ること・・・、その内面的葛藤の中から生まれたもの・・・、 として理解するのが自然なのかもしれない。1870年代あたりから経済的な自由度も得られるようになり、 1878年には音楽院講師も辞して独立した音楽家となる、という流れの中に位置している。
 いずれにしても、演奏スタンスとして、激しい表現を求めるにせよ、抒情的な表現を求めるにせよ、何らかの考察や投影がなければ、 この曲を薄っぺらなものにしてしまう危険があるように思われる。
(20160723 IWABUCHI)