チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 作品36

 この曲については、作者自らが、フォン・メック夫人に宛てた手紙で解説を試みている。特に、最終楽章に関して、 「幸福は、単純素朴な幸福は、なお存在する。人々の幸福を喜びなさい。そうすればあなたはなお生きてゆかれる。」と述べられており、 タネーエフに対しては、「基本的アイデアにおいて、ベートーヴェンの第5交響曲に倣って書いた」、と言っており、 この曲に対する一般的な見方は、その延長線上にある。
 確かに、第1楽章の冒頭に登場するテーマや、苦悩を表す、うねうねとした旋律の流れから、 第2楽章のメランコリックな雰囲気を経過し、爆発的な第4楽章へと至る流れなど、共通項は多い。
 しかし、私自身は、そうした見方とは正反対に、この曲に流れているのは、非常な虚しさであると考えている。 爽快感など全くなく、あまりに華麗な終結は、暗澹たる絶望の叫びだ。先述した手紙の中の言葉を借りれば、 作曲者には到底たどり着くことのできぬ「単純さに対する羨望」と言い換えてもいいかもしれ知れない。
 後の第6交響曲の第3楽章を思い出していただきたい。第6交響曲の場合には、最終楽章に明白な絶望が置かれているため、 第3楽章の虚しい爆発が際立っているが、この第4交響曲の場合には爆発的な楽章は最後に置かれているので、 あたかも歓喜であるかのように誤解されてしまうだけである。
 第4交響曲と第6交響曲は、同じテーマを扱っていると考えられる。その間に書かれた第5交響曲は、その流れから逸脱し、安定した精神状態と、 完成度の高いがっちりした構成になっており、むしろ異質だと言えよう。作曲者が第5交響曲を「拵え物」と言っていた背景には、そういう意味があり、 第4、第5、第6と一気に3曲の交響曲を聞くと、それがよくわかる。
 フォン・メック夫人に莫大な年金を約束され、音楽院の職も辞して作曲に専念する自由な立場を得た、 順風満帆なチャイコフスキーの心の中は、一体どうなっていたのだろう。
 当時のロシアは、確かに、農奴制の廃止など、帝政ロシア体制に若干の揺らぎが出始め、西欧文化と民族主義の相克が生じ始め、 市民層の台頭が始まってはいたが、上流階層の日々の生活に大きな軋みが生じていたようには思えない。作曲家の私生活においても、 確かに結婚の失敗などがあり、繊細な魂には大きな影響があったであろうが、作曲家としては、十分な経済的基盤も含めて盤石であったはず。
 もし、作曲者の抱いていた絶望が、当時の環境に起因するものではないとすれば、もっと本質的なところに起因すると考えざるを得ないだろう。 メランコリックな旋律、咆哮する金管のファンファーレなど、外面的な特徴に惑わされていると見出すことができぬ何物かが潜んでいる。

(20170123 IWABUCHI)