ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 作品68(1877年)

 

これほどに、作曲者の力の入れようが直に感じられる作品は、他には見当たらない。聴く人にとっては、その力みに辟易する場合もある。

勿論それは無理からぬこと。ベートーヴェンが弦楽四重奏というジャンルでハイドンを意識した以上に、ブラームスは交響曲というジャンルで、10年以上もの間、ベートーヴェンに続く作品を書くという重圧や恐怖にさらされていたのだから。

私は、中学校の音楽の授業では、もっぱら睡眠に襲われていただけで、楽器もクラシックギターやアコースティックギターだけに親しみ、また、ラジオを通じて、洋楽ポップスやロックミュージックなどに興味を持っていたが、その過程で、我が家にステレオコンポーネントが「配備」され、その後、高校生になったとき、クラシック音楽なるものを初めて「知る」ことになった。

最初は、「原子心母(Atom Heart Mother Suite)」というピンクフロイド(プログレッシブロックバンド)のアルバムに熱中し、そのコンポで聴いていたのだが、ある時、ふとスイッチを入れたFM放送から、鬼気迫るオーケストラの音が、大きなウーファーから鳴り響いてきたのである。それが、ブラームスの交響曲第1番の冒頭だった。その衝撃は今でも忘れることはできない。音楽の授業で流れたドヴォルザークの新世界交響曲でも、私を眠気に誘うことしかできなかったのに・・・。

おそらく、そこには、今では考えられないような重厚なオーディオコンポの音質も影響していたことだろうと思う。あの時代、まるで家具のようなオーディオセットは、かなりの家庭に普及していたが、現代では、それを「体感」できるのはレトロな喫茶店ぐらいだろう。

いずれにせよ、若かりし私は、その演奏にぐいぐいと引き込まれ、信じられないほどの緊張の中で、ほとんど身じろぎもせず、50分弱の演奏を聴き切ってしまった。特に、最終楽章のハ長調への解決は、文字通り、私の中で「音楽は何を成し得るか」という無意識の課題への解決だと思われ、比類ない解放感にさえ包まれていた。ブラームス自身も、この曲を書き上げ、初演に接した際に、同様な解放感を噛みしめていたはずである。同時に、自分を導いてくれた恩師シューマンと、そして恩師亡き後もずっと人生や音楽を共にしてきたクララという大きな存在―――。そこに万感の思いが溢れていないはずはない。

私には音楽理論など全くわからないが、この曲の大きな魅力は、冒頭の運命的な主題から、ほとんどの時間帯で、小節の頭からずれた形のまま流れてゆく、うねうねとした懊悩に満ちた旋律が、不安定なまま果てしなく続き、時折、小節の頭で、はっと我に返るような瞬間が訪れるかと思えば、再び、うねうねとした懊悩が頭をもたげるという繰り返し構造にある、と個人的には考えている。これは、第2楽章や第3楽章も、そして、ハ長調へ至るまでの最終楽章も、程度は異なっても同様である。「出口は一体どこにあるのか、まだまだ遠いのか、この放浪はいつ終わるのか」と喘ぎつつ・・・、この曲と歩みを共にすることを中断することができないのだ。それだけに、ハ長調へと解決され、整然としたノーマルな楽節構造に辿り着いた瞬間、聴衆は、とてつもない長さのトンネルを抜け出たという解放感に襲われる。この曲は、ドイツ統一(1871年)に対する喜びを含意しているとも言われているが、それも当時の聴衆にとっては、解放感の大きさに寄与していたのかもしれない。

この曲は、第10交響曲として称賛されたが、ベートーヴェンの「演劇的な」交響曲とは全く異なる。ベートーヴェンが、最初から最後まで、ある明確な壁が想定され、それを乗り越えるための格闘やドラマのようなフォルムを有しているのに対して、ブラームスの場合は、ある種、迷いや自問自答、得体のしれない苦悩に苛まれる自分自身と対峙している。言い換えれば、前者が、主に社会構造や因習といった外部要因が想定されているのに対して、後者は、中産階級の自由社会を前提とした中で、人間関係や階級闘争に翻弄される社会的・内的自己が主に想定され、薄暗い霧の中を歩いているように見える。さらに言い換えれば、ベートーヴェンが、ギリシャ的な叙事詩に例えられるのに対して、ブラームスは、ヘルマンヘッセの「デミアン」のようなドイツ「教養小説(私は「自己形成小節」と呼ぶべきだと考えている)」に例えられる。

ブラームスが活動していた時代は、産業革命が進展し、労働者階級という新たな歪みを生んでいた。しかし、その歪みに対する抵抗は集結せず、政治的・社会的な懐柔策と、主に中産階級に浸透した経済的な豊かさの拡大などによって鎮められた。ブラームスは、音楽界での成功によって、そうした歪みとは無関係の社会に属することができたと言えるが、当時、芸術の世界で成功した多くの人々も同様であり、政治や社会の歪みから目を背けたまま、しかし、得体のしれぬ不安と、何より「近代的自我」と向き合っていた。中産階級を主体とした聴衆も、同様だったのかもしれない。このような市民的個人主義とも呼ばれる状況は、現代の日本と似ている。

そのような諦念が蔓延していた社会情勢の中で、この第1交響曲が非常な難産であったことは、ある意味で当然だったのかもしれない。ヨーロッパはすでに交通網が発達し、鉄道で容易に移動できる状態になっていたため、ベートーヴェンが最終的に目指したコスモポリタニズムのような明確なシンボルは、この時代のドイツやウィーンには存在し得なかったのだから。

ところがその後、自由の反動として、大衆は新たな希望を信じ、集結するようになる。それを叫ぶ正当な権利がある、として・・・。ベートーヴェンまで担ぎ上げて、世界大戦へと突き進んでゆく。

先ほど述べたように、私をクラシック音楽へと開眼させてくれたこの曲を、今回、久々に聞いてみると、明るい筈のハ長調の最終部分が、窒息から逃れようとする当時の大衆の喘ぎや、悲痛な叫びを暗示しているようにさえ思えてくる。

 

ブラームスの作品は、私にとって、様々なシーンで青春を彩ってくれた香しい存在であるが、シェーンベルクが語ったように、20世紀へと繋がる重要な影響を残しているとの指摘もある。これまでとは違った視点で、捉えなおす必要があるのかもしれない。

(2023.6.26 iwabuchi)