ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 作品73

 シューマンに大きな期待をかけられていたブラームスは、ベートーヴェンという巨人的偉業の後に「交響曲」 というものを作曲することが果たして可能なのか、という不安を常に抱えながら20年以上も格闘し、遂にそれを成し遂げた。

 この第2交響曲は、そのすぐ後に、短期間で完成されたものである。
 第1交響曲を聴いた後にこの曲を聴くと、まず、第1楽章に溢れている解放感と達成感に、こちらも思わず笑みがこぼれてしまう。 ブラームスにとって、これを作曲している間は、後にも先にも、これ以上なく幸福な時間であったに違いない。 そこには、かつて自分を認めてくれた亡きシューマンに対してだけでなく、第1交響曲の作曲を成し遂げるために 自分を導いてくれた何者かに対する深い感謝の念も含まれている。
 長調とも短調とも言えぬ、しかも心地よいゆらぎの中を泳いでいるかのような感覚。あたかも、湖水のゆらめきと、 そこに映る空のような雰囲気。そのゆらぎに包まれてゆく感じ。たゆたうような中・低音の上に流れる旋律。 高音は非常に遠い彼方から届いてくる感じで、まるで木魂のようだ。
 それにしても、なんと自信に満ち溢れた音楽であろうか。「人生」などという言葉は、現代では気恥かしくて口にすることはほとんどないが、 その言葉がしっくりと来る感じ。この時の彼には、苦闘に満ちたそれを振り返る権利が十二分にあったのだ。 第2楽章は、そんな回想をテーマにしている、と個人的には思っている。メランコリックで憂鬱な楽章と思われがちだが、 全くそれとは異なり、穏やかな満足感、安らぎのひと時なのだ。
 ちなみに、この曲に関しては、ヴァイオリンやフルートなどの高音楽器は、「主張」してしまったら響きを破壊する。 あくまで「流れに沿わせる」「溶かす」感じがよい気がする。
 第3楽章から第4楽章にかけては、これから始まる未来に対する意気揚々とした思いを綴ったものだと思われる。 すなわち、何があろうと前を見て歩いていこう、という思いだ。当時の聴衆がこれを初めて耳にした時の、沸き立つような感動を思うと胸が熱くなる。
 誰でも、何事かを達成した経験があれば、この曲の真価を理解できる。父親のような声で、自信を持って歩け、という言葉が聞こえてくるのを、 あるいは、無骨な掌が肩に置かれた時の温もりが、じんわりと伝わってくるのを・・・。
(20151215 IWABUCHI)