ベートーヴェン:交響曲第6番 ヘ長調「田園」

 

 

以下の***で囲んだ部分は、2005年の佐倉フィル第42回定期演奏会のプログラムに記したものである。

 

 

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ベートーヴェンは、ウィーン郊外のハイリゲンシュタットの森を生涯愛し、その中を散歩することを好んだと言われていますが、この曲には、彼のそうした自然への深い愛着が表れています。

 

また、各楽章には、彼自身によって次のような表題が付されています。

 

第一楽章「田園に着いた時の歓び」、第二楽章「小川のほとりで」、第3楽章「村人の集い」、第四楽章「雷と嵐」、第五楽章「牧歌、嵐の後の喜びと感謝の気持ち」

 

さあ、この曲とともに、私たちも散歩に出かけましょう。耳を澄ますと、木々の梢のささやき、人々のうきうきした会話が聞こえ、嵐を予告するひんやりした風の肌触り、雲間から差し込む日差しの温かさまで感じられます。それらは、あるいは郷里のように懐かしく、あるいは父親のように優しく私たちを包み込み、聞き終えたのちには、生きることの歓びをうたわずにはいられなくなることでしょう。

 

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前回の演奏から15年を経て、再び演奏することになった機会に、改めてこの曲に向き合い、感じたことを記してみたい。

 

この曲が、標題音楽であるかどうかの議論は別として、自然とともに生きる人々の素朴な営みと、それに対するベートーヴェンの憧憬を表現したものであることは異論のないところであろうし、楽譜への彼自身の書き込みも「シンフォニア・パストレッラあるいは舎での活の思い出。絵画描写というよりも感情の表出」となっている。しかし、この曲は、田舎、田園、農民と言ったものとの関連だけで理解できるものなのだろうか。

 

ベートーヴェンの時代が、市民階級が台頭してきた時期に当たることは、これまでにも再三指摘してきたが、単なる田園的な要素は、都市の発達と軌を一にした市民社会の台頭とは対極に位置している。

 

彼は、モーツアルトやハイドンなどからソナタ形式を引き継ぎつつも、その形式に内在しているドラマ性を最大限に引き出し、音楽を、教会や貴族の邸宅から、多くの市民が集う劇場空間へと引っ張り出し、市民階級がそれを受け入れた。それゆえに、躍動感に溢れ、常に発展性を予感する楽曲が多い。

 

この交響曲もその例外ではなく、さらに発展して、それまで4つの楽章が持っていた独立性を取り払い、3から5楽章を切れ目なく演奏させるなど、曲全体の有機的な一体性を非常に意識したものとなっている。そのため、全体的に柔和な表情が支配的であるにもかかわらず、最終楽章の解放感は比類がない。

 

今回改めて聴き込んでみると、単なる田舎の素朴な風景というより、むしろ市民社会全体の活気溢れるような雰囲気を反映しているように感じる。また、ベートーヴェンが森で感じたものというのは、自殺まで思いつめたこともあるような自らの境遇を慰める、のどかな風景や鳥のさえずりといったものだけではなかったのではないか、とも感じられた。もし、そこに留まっていただけなら、クネヒトが作曲した「自然の音楽的描写交響曲」と同じになったはずである。

 

むしろ彼が森で発見したものは、「自由」や「生きるということの意味」であると同時に、かつて貴族社会に縛られていた、ギリシャ的な人間性の開放であろう。この曲に表現されているのは、単なるのどかな慰安ではなく、貴族階級制度に縛られる以前の、本来的な人間性への回帰であり、市民社会が向かうべき、彼が理想とした未来である、と思われるのである。

 

この時代は、産業革命が勃興した時期でもあるが、その後世界は、資本階級の台頭を通じ、市民社会に、現在も直面する新たな格差問題が生じさせることになることを、ベートーヴェンはもちろん知らない。今やAI(エーアイ)が台頭しようとしている現代に生きる我々は、いかに本源的な人間性を開放できるのかを考えなくてはならない。この曲は、そういった点をも投げかけている気がする。

 

(20200127 iwabuchi)

 

 

 

<追記>

 

「パストレッラ(パストラーレ)=牧歌」は、もともと羊飼いの音楽として、一定のジャンルを形成し、バロック時代には、キリスト教との関連性において、クリスマスと密接に関連した歴史的な音楽ジャンルとして多くの作曲事例がある。もっとも有名なものは、コレルリのクリスマス協奏曲の終曲である。キリストは自らを牧者(羊飼い)になぞらえて、人類もしくは虐げられていた人々を導く存在、もしくは「神の子羊」とされていたことがその理由であろう。(さらに遡ると、パストラーレ(牧歌劇、田園劇)は、ギリシャ時代の劇においても一定のジャンルを持っていた。)

 

ベートーヴェンがそこまで意識して作曲し、楽譜への書き込みを行ったかどうかについて議論されたことはないようだが、この曲に「人間性への回帰あるいは解放」というテーマを感じている私個人としては、十分意識していたのではないかと推測している。