ベートーヴェン:交響曲第4番 変ロ長調 作品60

 かつて、この曲を「アポロ的な要素とディオニソス的要素が拮抗している」と、ある人が評していたのを聞いたことがある。 「ベートーヴェン好きにとっては、そこがたまらなく好きなのだ。」とも・・・。
 しかし、そんな言葉を蹴飛ばしてしまったのが、カルロス・クライバーの演奏だった。 今や、地上的・享楽的で快速な演奏スタイルが主流になっている。 しばしば、ベートーヴェンの音楽はロックンロールに例えられることがあるが、まさにそういう感じで、 大衆の湧き立つような自由への賛歌に満ち満ちている。今から200年前の演奏会場の雰囲気が、 一般的にどんな感じだったのかわからないが、現在主流となっている演奏解釈に対して、 気違い染みた興奮を感じると同時に、聞いた後に、お祭り騒ぎ後の空っぽの虚しさを感じてしまうのは私だけだろうか。
 ベートーヴェンの音楽について、かつては、苦悩から歓喜へといった精神性が強調され、 現代的な解釈においては、当時、勃興しつつあった市民社会のエネルギー爆発の力が支配的になっているが、 この曲は淀みなく暖色系のエネルギーを、辺りいっぱいに発散している。
 また、モーツアルトにおいては、一定の形式観の中で、民衆の素朴で天真爛漫な雰囲気(歓びと悲哀) が微風のように反映されているのに対して、ベートーヴェンにおいては、大衆という新しい視点が反映されている。 すなわち、人間性の解放と、自我を満たすことのできる自由というものの歓びを得ると同時に、それと引き換えに失わなければならないもの・・・。 その到達点である第9交響曲においては、その苦々しい側面をも突き抜けて歌いきることになる。
 だから私の場合は、交響曲第4番を聞いた後に、必ずと言ってよいほど第9交響曲を聞きたくなる。
(20141019 IWABUCHI)