ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18

 この曲の成立は1900年であるから、20世紀最初のピアノ協奏曲である。(その2年後の1902年には、20世紀最初の交響曲であるマーラーの5番が成立している。)

 その比類のない美しさから、これまでに様々なアレンジが生まれたほか、映画やアイススケートなど、様々なシーンで使われ続けている。

 

 河は、草や葉を浮かべて、どこまでも続く平坦な北の大地をゆったりと流れている。その浮遊物は、時折り、岸辺のアシや大きな岩などに遭遇し、そこで停滞するが、暫くすると、継続する水の流れの力が、それらを再びゆっくりと下流へと運び始める・・・その繰り返し。それは、あたかも、大きな社会変動を伴う時間の流れ、―――すなわち歴史というものに押し流されていく一人ひとりの人生であるかのようだ。さらに、この曲には「没落」の美ともいうべき情感が、濃い霧のように覆っている。打ち寄せる波とは少し違うが、まるで、息を吸ったり吐いたりするような、重たいリズムと旋律が、寄せては返すように、まるで大地を吹いては止む風のような・・・。

 私が、この曲を聴いて想い起すのは、そのようなイメージである。

 

  また、ラフマニノフの楽曲には、鐘の音を思わせるフレーズが多いと言われる。この協奏曲の冒頭も然りで、彼が19歳で作曲した前奏曲(ラフマニノフ存命中は、「うんざりするほど」演奏を求められた。)と非常によく似ている。鐘の音は、振り子運動によって生まれるが、町中の鐘の音が、ある時はずれて、ある時は同時に鳴り響くとき、その振り子運動の行きつ戻りつする音の反復とランダムな重なりは、作曲者自身の心に深く刻まれたものであっただろう。

 

 

 若きラフマニノフの時代のロシアでは、すでに貴族階級の没落が著しかった。皇帝(ツァーリ)を頂点とするヒエラルヒーの土台は、既に大きく崩れ始めていた。彼の父は既に没落してしまった貴族の家系に属し、しかも、ラフマニノフが少年の頃には、最後に残されていた領地さえも手放さざるを得ない所まで落ちぶれ、ペテルブルグへと移らねばならなかった。それは、チェーホフの「桜の園」の舞台場面そのままだ。

 まだ幼いセルゲイにとって、深く親しんでいたノブゴロド地方の、懐の深い自然から引き離されたことは、大きな痛みとして残ったのであろうと想像する。この曲の成立の背景として、このような作曲者の境遇を重ねることは皮相に過ぎるだろうか・・・。

 いずれにせよ、冒頭の重厚で不気味な和音から、様々な悩み、うねり、安らぎなどを経る美しい曲想の流れは、物心ついた幼少の頃から、この第2協奏曲が成立するまでの、作曲者の激動の人生を反映しているのは間違いなく、だからこそ、屈指の人気を集めているのだろう。

 この曲に反映されているのは、もちろん作曲者自身の境遇だけではない。当時のロシアは、西欧に比べて明らかに経済力で後れをとっていたため、労働者たちの生活を犠牲にして背伸びをし、国家としての力を蓄えようとしていた。革命はもっとずっと後に勃発するが、皇帝の権威の低下と、潜在的な社会的不安は、さらにもっと前の世代から既に増大し続けており、作曲者もそれを敏感に感じ取っていたに違いない。

 

 ラフマニノフの楽曲は、20世紀に成立したものが多いが、前衛的な要素がほとんどないため、時代遅れであるとのそしりは免れなかったが、この第2協奏曲だけはずっと熱狂的に支持され続けてきた。一方、第2交響曲、第3協奏曲、交響的舞曲などを除くと、ピアノ独奏曲も含めて、まだまだ広く一般的に知られているとは言えない。生誕150年を迎えて、さらに紹介が必要なのではないかと思われる。

(20231224 IWABUCHI)