ラフマニノフ:交響曲第2番 ホ短調 作品27

最高傑作である交響詩「死の島」や、高名なピアノ協奏曲第2番などと並び、ラフマニノフ作曲の頂点をなす作品のひとつである。 音楽の発展史の上では、評価が高いとは言えず、それゆえに一時忘れ去られていた感もあるが、名曲であることは間違いない。

 寂寥感、喪失感、慰安―――聴く者の胸底に密かにうずくまっている、そういった感情に呼応し、共鳴し、増幅する。 分厚いオーケストレーションと、息詰まるほどに長く、うねるような、身もだえるようなフレーズ。 忘れていたはずの切ない温もりを思い起こさせるような、あるいは、静かに自分を見下ろし、包み込むような青い天空のような・・・。
 諦念、という言葉は、何かを断念することを意味せず、新たな何ものかを受け入れることなのだ、と諭されているような不思議な感覚。 いつまでも鳴りやまないでいてほしい、曲の終わりが永遠に来ないでほしいという希求さえ起きてくる。それは決して自虐的な行為ではない。
 恋愛というものが抱えている本来的な不安―――それは、いつか訪れるかもしれない喪失に対する怖れであるとするならば、 この曲が用いている循環主題の形式は、それに呼応するものではないだろうか。

 形式的には、一般的に言われている通り、チャイコフスキーのそれに似ているが、最終楽章へ向かう推進力はずっと小さく、 むしろ第3楽章(緩徐楽章)が感情的な頂点を成し、戦慄くほどに極めて美しく、最終楽章はむしろ淡白である。

 彼の最初の管弦楽作品は、ピアノ協奏曲第1番であるが、既に、この頃から円熟・洗練されたスタイルと作曲技法が見られ、 最晩年期に至るまで、その作風が大きく変わることはなかった。
 唯一とも言える例外が、交響曲第1番である。どこかシベリウス的なものや、バルバロスな曲想が多く含まれていて、 最終楽章に至っては、楽天的なマーチとなっている序奏、一転してスキップするようなリズムの主要部など、とても異質である。 この作品は、当時、批評家などに徹底的にこき下ろされ、その原因は、 初演指揮者グラズノフの無理解と放漫な演奏によるものと言われることもあるが、それは誇張にすぎるというものであって、 その異質さからすれば、一般的には理解に苦しむものであったためであると考えられる。 一言でいえば、その失敗は、当時として無理からぬことだったし、それまで一貫していたラフマニノフの作風から大きく外れたものであった。 その当時、彼を捉えていた、不倫の恋の影響もあるのかもしれない。
もちろん、現代の我々から見れば、決して失敗作でないことは明らかである。 また、この失敗にめげず、新たな作曲技法に果敢に挑戦し続けていたら、 ラフマニノフという作曲家がどのような作品を生み出すことになっていたのかということを考えるのは、大変興味深いテーマである。
 その後の有名な逸話として、精神科医師による治療と、ピアノ協奏曲第2番の大成功という転機が訪れるわけだが、 それは、元々の彼の作風に回帰しただけの話であって、転機ではない。 ある人が言ったように、彼は「懲りてしまった」、あるいは、「芸術家ではなく、職人であることに徹した」ということなのかもしれない。 この交響曲第2番も、この範疇に属するけれども、実に美しい職人技の結晶だと言わざるを得ない。
(20130819 IWABUCHI)