2005/11/17 加速度~ G.マーラー交響曲第10番よりアダージョ 」

 

 時間というものの速度は常に一定であるとは限らない。

 現代に生きる我々は、かつて経験したことのない加速度を体験している。その加速度が、 時間の速度も変えていないと、誰が言えよう。

 我々は膨大な質量や体積を有する新たな物体を「創造」し、それを利用し、操っている。 それらの創造物は、進化を止めた我々自身の肉体を乗せて、次第に加速しながら我々を未 知へと連れ去ろうとしている。我々自身が退化をはじめたら、それをなお操りつづけるこ となどできなくなるだろう。

 あらゆるものをコントロールするために組み込まれたCPU。その原資であり創造物で ある記憶装置。

 それらは、驚くほど多数の、いや、殆んど全ての創造物を制御している。すなわち、我々 の手足の代替物である、飛行機、自動車、鉄道などの乗り物。我々の自律神経の代替物で ある空調装置、生命維持装置など。我々の脳の代替物であるCPUや記憶装置そのもの。 などなど・・・。

 既に我々が有し得るものは「意思」だけになって いる、と言えないだろうか。

 一昔前、人間の滅亡は、黙示録にあるような「天からの火」によって生じるだろう、と、 すなわち、人間が作り出した水爆のような「兵器」によって起きるだろうとされていた。 今ではむしろ、これまでに何度もあったような「隕石の衝突」や「地球環境の激変」、あ るいは人間自身の引き起こす環境の激変によって起きるだろう、と思われている。しかし、 実は、我々自身の退化と、我々の創造物が獲得する加速度―――このふたつの相互作用か ら起きるのだ。

 「我々はどこから来たのか。我々とは何か。我々はどこへ行くの か。」(ゴーギャン)

 この曲が放つ鮮烈な不協和音は、我々自身と、我々の生み出した無数の創造物との、い かにしても避けることのできぬ軋轢を「予言」している。

 

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