2000/ 9/26 庭~ 武満 徹「カトレーン 」

 

 あの庭は、今ごろどうしているだろう…。

 曲がりくねった海岸沿いの道に車を駆る僕の視界に、その庭は突然現れた。背中を向けて うなだれるその庭は、肩の上に海 を載せていた―――少し灰色を含んだエメラルドグリー ンの海を。

 庭はしかも、まるでジブラルタル海峡に聳える「ヘラクレスの柱」のように、僕の視線 を海へ、海へと招じ入れた。車を降りてその門へと歩く道端には、清楚な白い花が咲いて いた。その花に手を引かれ、導かれた僕は門をくぐり、海への入り口―――文字通り入り 口に立った。そこには、おそらくは係留された船へと降りるためのものであろう、石の階 段が海面まで降りていた。そこから見る海は、まるで遥か昔に想像されていたような、遥 か地の果てで滝のように落ち込んでいるに違いないと 信じさせるような、そんな巨大で得 体の知れぬ海だった。この庭を通った者だけに姿を現す、底知れぬ海の顔だった。

 2m程度の波であれば、その庭に容易に届いたであろう。しかも、その庭には家が建っ ていた。もっとも、僕達が来たときには人の姿もなく、雨戸は閉ざされていたが、それほ ど荒れているようには見えなかった。夏の間だけのものなのかもしれない…。

 僕はこの庭に名を与えた―――「私たちの庭」と…。

 この曲には、私たちの庭の背中と、その肩ごしに盛り上がる海を思わせるような、底知 れぬ奥行きを感じる。そして同時に、 生命を育むというより、温めたフラスコを、ゆっく りと時間をかけて揺らしながら生命を培養してきたというような、海の不可思議な技( わ ざ) をも思わせるのだ。


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