2005/12/21 言葉の眼差し2~ フォーレ「ピアノ四重奏曲第1番より第3楽章 」

 

 映像が、言葉をかき消してゆく。

   映像が、音楽と言葉の間に割り込み、音楽を略奪してゆく。言葉と音楽は強引に引き裂 かれてゆく。置き去りにされ、死を選ぶしかない言葉―――。

 音楽は、すでに言葉を 見捨て、華やかな映像との結婚を望んでいるように思えてくる。 ああ、もう詩は「うた」ではありえないのか。

 映像の持つ力は、あらゆるものを蹂躙してゆく。その、あまりの強烈さに、僕は思わず 目を閉じてしまう。

 今はまだ、映像はたやすくコピーすることができる段階でしかない。だがもし、人間が、 言葉を瞬時のうちに操り、あらゆる表現を可能にしているように、映像を「瞬時のうちに 操り」、あらゆる表現を可能にすることができたとしたら。感情、理念、理論・・・、す べてを表現できたとしたら―――――わずかな数式や記号を残して、文字や言葉はこの世 から消える・・・。

 映像も、音楽も、視覚、聴覚という人間の五感と対応している。しかし、言葉はどの五 感とも直接対応していない。言葉は、人間自らが作り出した新たな感覚器官であったはず。 しかし現在、言葉は、五感を直接刺激するために人間が作り出す様々なもの―――すなわ ち、映像、音源などの洪水によって、水没しようとしてはいないだろうか。

 現在にあっても、言葉によって音楽を奏でる、という僕の試みは、既に絶望的なのだろ うか・・・。

 映像と音楽の、華やかな舞踏を、打ちひしがれた目で見つめる言葉―――その憧れに満 ちた眼差しを、僕はどう直視して良いのかわからないでいる。

 僕は、そんな「言葉」の隣で一生を終えるつもりでいる。

 この楽章の、静かな愛情に満ち溢れた旋律は、そんな彼女のそばに居る僕を静かに包み、 勇気付けてくれるのだ。

 

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