シューベルト:交響曲第8(9)番 ハ長調 D944(「グレート」)

 シューベルトの交響曲として、一般的によく知られているものは8曲あり、その内の第7番は「未完成」交響曲として高名である。
 1番から第6番の交響曲を聴いてみると、直感的に「これってシューベルト???」と思わざるを得ない。 加えて、ベートーヴェンと同時代でありながら、むしろ、それ以前のハイドンやモーツアルトに近いフォルムと雰囲気があり、 ほとんど独自性が感じられない。また、未完成に終わっている交響曲がD759の他にもいくつかあり、 シューベルトが、構成力と忍耐力を要する交響曲の作曲を苦手にしていたであろうことを窺わせる。
 次に作曲されたのは、ロ短調 D759(いわゆる「未完成」)の交響曲であるが、ハ長調D944(いわゆる「グレート」)の方が、 第1~6番の飛躍的な発展形であるように思われる。つまり、D759の異質さが際立っているのである (D759の交響曲については別コラムを参照願いたい。)。あるいは、D759を2楽章で中断したのは、 あのような作品は自身の作風ではない、と感じたからかもしれない。
 D944に関しては、シューベルトには珍しく、しっかりした構成で長大な楽想を最後まで書かれており、かつ、 彼の歌心が生かされ、独自性が見出される。彼をここまで忍耐強く作曲に取り組ませた状況には、一体どんな背景があったのかは非常に興味がある。
 このD944の交響曲について、国際シューベルト協会新全集に依拠した、1996年のベーレンライター版による演奏を聴くと、 それ以前の演奏とはかなり異なった雰囲気を感じる。それ以前は、冒頭が非常にゆったりしたテンポで始まり、 その後も、全体的に朗々とした雰囲気が支配的であるのに対して、ベーレンライター版では、冒頭から、かなり快速である。 これは、従来の版が冒頭テンポを4/4拍子としているのに対して、ベーレンラーター版では2/2拍子としている点が大きく異なるためで、 その違いが全曲に及んでいるということもあると思われる。
 また、この曲は、後のブルックナーの交響曲への影響が指摘されることが多いが、昔の演奏では、 そのブルックナーの雰囲気が持ち込まれていたことも背景にあるのではないだろうか。
 さらに、従来、この曲に対しては、「天国的な長さ」というシューマンの言葉が強調・曲解されるあまり、 非常にゆったりしたイメージが支配的であったが、最近のイメージでは、スキップするような楽しげなリズム感の上に、 抜けるような青空が広がり、明朗で地上的なイメージが支配的であり、あのD759の後に作曲されたということが全く信じがたいほどである。 モーツアルトの天駆ける交響曲第41番「ジュピター」が、死を間近に作曲されたということにも驚くが、シューベルトのこの作品も、 死を間近に控えた純潔感に溢れていることに驚き、共通する何ものかを感じる。
 だが、その青空の色は、明澄なだけの色ではなく、心の奥底に沈んだ何ものかを慰安するような色彩である。 疾走する終楽章も、この世のものではない喜悦である。私たちは、それらに憧れを感じ、この曲を愛するのであろう。
(20150114 IWABUCHI)